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2005年10月1日 (土)

CLANNADに関する考察、第2日目。今回は、「メグメル」の原義である「喜びの平原」にスポットライトを当ててみる。「喜びの平原」と言えば、そこに到達した人があらゆる苦しみから解放されるという、極楽浄土的なイメージを持つことだろう。

ケルト神話には「異界」なる概念があり、現世とは隔離された、または現世の裏側に存在する世界、という解釈が成されているので、強ち「死後の世界」「天国」などと結び付けるのも間違いという訳ではない。しかし、極楽浄土を想像するときに、例えばある宗教を篤く信仰していたとすると、生前の過ちや罪などが「神」によって洗い流され、イノセントな状態となって大往生を遂げるとされることが多い。すなわち、一般的な「冥界」「アナザ・ワールド」という概念には、清楚で穢れの無い印象がつきまとうはずである。

「喜びの平原」は、それほどイノセントなものでもない。元になったケルト神話からのエピソードを要約すると、

ある日、コンラという男の元に、妖精が現れる。彼女は、自分の住むシーという地(これを「喜びの平原」と表現する)に来れば、永遠の命・永遠の若さ・永遠の美を手に入れることができると説く。コンラの父、コン王は、妖精の姿こそ見えなかったが、聞こえてくるあまりにも美味しい話に疑念を抱き、ドルイドの黒魔法師に彼女を消さしめる。去り際、妖精はコンラに1個のリンゴを渡す。それは、「食べてもなくならないリンゴ」で、そればかりで1ヶ月を凌げるほどのシロモノだった。ややあって、再び誘いをかけに現れた妖精の「ボアダハ王の統べるシーには女しかいない。一度来てみるのも悪くはないだろう」という言葉に、コンラは遂に身を委ねてしまうのである。

参考文献:世界の神話 101 Handbook of myths

という感じである。永遠の命、食べてもなくならないリンゴ、女しかいない、というようなキーワードが、一般的な極楽浄土に与えられる慎ましやかなイメージと拮抗している。つまり、ケルトの「異界」というのは必ずしも、死んでから生前信仰していた宗教の「神」によって誘われる場所とは限らないのであり、むしろ人間がその生涯のうちに現世の苦しみや悩み、憂鬱から逃れたいと夢想するがゆえに創り出す「理想郷」であると表現する方が妥当なのではないかと思う。

どの人間にも等しく死は訪れるのだから、命を失わない世界があればいいのに。リンゴなど食べてしまえば目の前から消えてなくなってしまうものだから、食べてもなくならないリンゴがあればいいのに。王家や兵隊という男性優位な地位に立たされ自分は女性と接する機会もなかったのだから、女に囲まれる世界があればいいのに。そういった反実仮想から生涯のうちにイマジンする「理想郷」が、ケルトでは「喜びの平原」すなわち「マグ・メル」であるとされているのだ。

結局何が言いたいのかっつーと、女だらけの世界っていうのはCLANNAD自体ギャルゲーな訳だから外れてもいないが、「喜びの島」=「メグメル」は、そんなに美しい世界なのではなく、むしろ欲望から形成される、下手をすれば糸を引くほどねっとりした世界だということである。