プロローグ

 春――それは、すべてが活気に満ち溢れる季節。
 風は円を描き、花は内なる美を晒し、鳥は楽しそうに歌う。
 まるでなにかの祭典の開会式のような賑わいの中で、それに同調していないものが二つばかりあった。
 一つは、真新しい制服に身を包んでいながら、内心これからの学校生活に不安を隠しきれない新入生たちの、うつろな表情。もうひとつは自分の表情。
 理由は違うけれども、自分の顔もまた、新入生たちのそれらに負けず劣らずうつろだった。
 当たり前のようにやってきては、当たり前のように去っていく四季の一つとして春を迎えていた自分には、 周りの人間の、春はやる気を奮い立たせる季節だという解釈が、やはり解しがたい。
 春だろうと、夏だろうと、恙無く過ぎてくれるのなら、なんだっていい。
 何一つ楽しかった、嬉しかったと思えるような出来事を記憶の中に見出すことができないからこそ、 多くを望むのが無為なことのように思えてきて――そうこうしているうちに、自分は"事勿れ主義者"なんて呼ばれるように なってしまった。
 どうせ何も起こらないのだ。いつものように教室に向かい、いつものように鞄を置いて、普段どおりにグラウンドに出よう と思いながら昇降口に差し掛かったとき、
「よっしゃあ! 思い出いっぱいつくるぞおっ!!」
 うしろから、女子生徒のものと思しき叫び声が恒幸の聴覚を刺激した。
「みっみさきちゃん、声大きすぎるってば…」
 振り返ると、自分と同じように聴覚を刺激され顔を向けた生徒たちの視線の集中する場所に、 新入生なのだろう、真新しい制服を纏ったふたりの女子生徒の姿があった。
 よく見ると、二人は周囲の生徒の見る目も気にせず勇を鼓すばかりか、なんとお互いに手を繋ぎ合ってまでいる。 男の子と女の子が繋ぎ合っているのならなんとなくわかる気がするけれど、 どうして女の子同士がこんな有り様になっているのだろうか。まさか、同性愛者…? いや、そんなはずはあるまい。 ここは学校なのだ。そして、彼女たちはおそらく、新入生なのだ。校門を通り抜けるなり、 普通ならば憚って他人に知られまいとする性質を、これほど大胆に見せつける新入生なんて、 少なくとも自分の考えうる範囲外だ。
「ゆづるっ、こっちだよ! 早く早くっ!」
「待ってよぉ、みさきちゃん!」
 二人は全速力でこちらへ向かって走ってくると、恒幸の目の前を通り過ぎて『お先にっ!』と言わんばかりに 昇降口へと突入してしまった。むしろ、自分を退かせて、というほうが正しいかもしれない。
 駆けて来るふたりの、予期されるコースの延長線を辿れば、確かにその線上には自分の体があった。 いち早くそれを悟った恒幸は咄嗟に少しだけ身を躱したが、どうやら的を射た判断だったようだった。
「ったく……新入生のくせに少しは注意払えってんだよな」
 トン、というよりは、ドスンと肩に手を載せてそう言ってきたのは、振り向かなくても分かる――勝流だ。
「……まあ、あれぐらい元気なほうがかえっていいんじゃないか?」
「珍しいケースだけどな。お前に迷惑かけてるのは確かだ。今度見つけたら注意しといてやる」
 教師張りのけしからんチックな顔で、勝流は言う。自分のことを心配してそう言ってくれているのか、 単にはしゃぐ生徒に注意の一喝を投じたいだけなのかは恒幸の推し量るところではないが、 彼は、親友の誼でいい方向に受け取っておくことにした。
「おっと、俺らもぼうっとしちゃおれんぞ。ささっ、支度支度っ」
 そう言って、勝流までもが昇降口に入ろうとしていた恒幸の先を越してしまう。 ここでまた物思いに時間を割いていたら、当分昇降口には入れそうにないな――そう割り切った恒幸は、 敢えて周囲の空気から目を逸らして、勝流の後を追ったのだった。

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